『ベイツ・モーテル』からの『サイコ/サイコ2』を観た感想とちょびっと比較(ネタバレ含む)
やっとサイコとサイコ2をみましたー🍀
スター・ウォーズをエピソード1から観る感じでしょうか……
スター・ウォーズについては数分しかみたことがないのでこの例えが正しいか不明です、すみません。
さてさて、プライムビデオしか使ったことないので今回ももちろんここで観ました。
サイコ (字幕版) Prime Videoリンク
その他にもきっと観られるチャンネルやらツールがあると思いますので確認すると良いと思います!
●『ベイツ・モーテル』について今まで思ったこと
●ネタバレ含むと言ったので適当なあらすじ
『サイコ』
美しい女性マリオンにはサムという恋人がいるが、サムは別れた妻への慰謝料などで金欠。ホテル代もマリオンが払う状態で、関係には進展がない。
会社から預かった4万ドルを横領し、サムの暮らす街へ逃亡するが、保安官に不審がられるなど、マリオンの心は穏やかとは言えない。大雨の中、ベイツ・モーテルにたどり着き、モーテルのノーマンにもてなされる。
行方不明のマリオンと4万ドルを追う、妹ライラと恋人サム、そして探偵ミルトンはベイツ・モーテルにたどり着く。
『サイコ2』
ノーマンが退院し、ベイツ・モーテルに戻ってくる。帰宅と共に母からのメモや電話、その姿を見てしまうなど、自分がまた前のようになるのではと怯え始める。
ノーマンはレストランで働き始め、同僚のメアリーが帰る場所がないと言うので荒んだモーテルではなく自分の家に泊める。
メアリーは『サイコ』のライラの娘で、ライラと共にノーマンを病院に戻そうとメモや電話を仕込んでいた。共に暮らすうちにノーマンが正常であろうと努力していると理解し、母の計画を降りようとする。
●『サイコ/サイコ2』の感想
『サイコ』は社会的に弱いマリオンを主人公として話が進みます。
『ベイツ・モーテル』から始めてしまいノーマンのことを知っているわたしは
マリオンが感じる違和感よりノーマンを見るマリオンの視線が気になってしまうのですが、
これは『サイコ』オンタイムじゃない方には起きることでしょうか……?
『サイコ』シリーズは4まで出ているし。。
そして全く話の筋とは違うのですが母のビジュアルや声にがっかりしてしまいます。ヴェラさんを欲しすぎているのはもはや恋かもしれません。
たぶん意識されていると思うのが、どちらも最初に弱者の視点で、後半は狂気に立ち向かう者の視点で描かれていることです。
『サイコ』では職場でおじさんたちに見下される事務の女の子から、
母との共存に苦しみ負けていくノーマン、それらに対峙するライラ、サムの視点に。
『サイコ2』では世間から狂人と認識され職場も選べず自分でも自分を信じられないノーマンから、
母の計画と自分の正義の間にもがきながら、ノーマンを信じられなくなりつつあるメアリーに。
いずれも最後に狂気が勝ってしまって、順番が違うわたしは恐怖より悲しみが勝ってしまいました。
しかしなによりがっかりしてしまうのは『サイコ2』のラスト……本物の母が現れると「もういない」とわかってしまった母の代わりにしてしまうことです。
ノーマンにとってノーマ以外を自分の「母」と認めるというのが、それが狂っているということなのかもしれませんが、とても残念でした。
この後のシリーズもこの流れらしいのでもう追わないと思います。結局ノーマじゃなきゃ、となるのかもですが。
残念なことに結局『サイコ』の感想というより
『ベイツ・モーテル』との比較をしたり、
『ベイツ・モーテル』が『サイコ』にとってどこに位置するのかなどを探ることをやめられずに見終えてしまいました。
しかし、『ベイツ・モーテル』から観たおかげでヒッチコックに入れそうなので感謝しています。次は『鳥』も観てみたいですが、トラウマですかね……。
●『サイコ/サイコ2』と『ベイツ・モーテル』の比較
もし『サイコ3/サイコ4』で補われていたらすみません。
とりあえず『サイコ/サイコ2』だけで比較します。
果てしなそうなので特に気になったところだけ。
ごちゃごちゃしそうなので以下に略します。
P:映画『サイコ』
P2:映画『サイコ2』
BM:ドラマ『ベイツ・モーテル』
ノーマンの母
・年老いた母(P)、本当の母追加(P2)、若く美しい母(BM)
・ヒステリーで支配的な母(P/P2/BM)、かつ魅力的な女性(BM)
・モーテルを愛人に買ってもらう(P)、失くした夫の保険金でモーテル購入(BM)
・愛人と服毒心中(P)、
ノーマンにより愛人と共に毒殺された?(P2)、
母の人格のノーマンによりノーマンと心中させられる(BM)
・ノーマン逮捕時死後10年(P)、同死後2年(BM)
ノーマン
・この町で生まれ育つ(P)、モーテル購入時に引っ越してくる(BM)
・剥製にするのは鳥だけ(P/P2)、動物も剥製にする(BM)
・二重人格は母の死後(P)、生前から二重人格(P2/BM)
P2には母殺害を自白するシーンありのため
・マリオンを殺す(P)、マリオンを逃がす(BM)
・女性経験不明(P/P2)、女性経験あり(BM)
・入院は逮捕後(P/P2)、入院は逮捕前(BM)
周囲の人たち
・友達の存在不明(P)、心理学の先生とメアリーに頼る(P2)
エマやディランに支えられる、マデリンと親しくなる(BM)
・友人メアリーの母ライラは「母」に殺される(P2)、
友人エマの母オードリーを「母」として殺す(BM)
・母の最後のパートナーは結婚していた(P)、
最後のパートナーは夫となり母だけを愛した(BM)
結末
・狂気の勝利(P/P2)、狂気は完治ならず家族愛で幕(BM)
……記憶違いあったら教えてください。
これらの違いは時代によるもの、ノーマンの年齢によるものもあると思います。
そうでない部分は『ベイツ・モーテル』が意図したことに強く関係しそうです。
『ベイツ・モーテル』でノーマの美しさ、死因、死後からの年月、そしてノーマンが哺乳類も剥製にできることは、
ノーマを美しく儚い狂気の象徴として保存するのに必要な設定変更だったと思います。
ノーマに惚れた者としてはありがたいです。
ノーマやノーマンの周囲に優しく素直な人がいたことはどうでしょう。
ノーマは(束の間)幸せな人生を味わい、ノーマンは友達や家族に何度も救われます。二人は閉鎖的でありながら映画『サイコ』の二人より他人の影響を受けているし、助けてほしいと声をあげています。
ドラマ化するにあたってまともな人がいないとキツイということも考えられますが、ピュアなハートから脳に信号を送ると、
ドラマ『ベイツ・モーテル』は『サイコ』を止められるかというチャレンジだったのではと思います。
どちらも、狂っていく苦しみ、支えたいと思う周囲の人の苦難を描いています。
ドラマは45分×10話×5シーズン(約40時間弱、映画2本分の約10倍)を使って
ストレスを与えるものについて主観的な事実、視点を変えた事実、話を聞いた反応などを示してくれます。
さらにそれらに登場人物がどう反応していくか、
それによって引き起こされることを見せてくれました。
国も違うし派手な世界が絡んでくるので、身近じゃない部分もたくさんありますが。
●ふたつの映画とすてきなドラマから感じたこと
そもそもこれを見始めたのは、個人的に興味があるからです。
このような体験をされている人がいると聞くたびに「どれだけひどい目にあったのだろう」と恐ろしくなり、
「これからどうやったら生きやすくなるんだろう」と思っても行き詰まりを感じてもやもやすることしかできずにいました。
しかしこれらを見て、とりあえずひとつの思考ルートが見えてきた気がしています。
このように大変な状態になった方に
素人とか長く寄り添う覚悟のない人間が身の丈に合わない詮索も干渉もする必要はないということと、
接し方についてはコミュニケーションなので一方的に決められないだろうということ。
そして、わたしが今自分の行動を変えられるとしたら
他人に対して
・自分の都合で他の人に強いストレスを与え続けない。
・他人を支配しようとしない。
自分についても
・自分が辛いときに限界まで我慢しない。
・限界が近かったら環境を変える。
そして
・大事な人がおかしくなってきたらちゃんと見守る
……ということをまず気をつけるというところなのではと思いました。
たぶん『サイコ』だけでは割りきれなかったと思いますが
『ベイツ・モーテル』の登場人物たちを愛し彼らの苦しみを見つめたことで
実は普段から気をつけているつもりだったことを
改めてできているか、きちんと心がけていきたいと思いました。
できていると自信を持てるようになったら、もう少し他のことにも気をつけてみたいと思います。
すさまじく長文になりスミマセン。。
よいドラマ生活を!