小規模な人生でもたのしみたい

たいしたことはできてないけど、日々楽しく幸せに生きたい人間の自分用メモです。何か少しでも誰かの役にたったらうれしいなとおもいます。

じぶんちのこと

うちは幸いなことに、父も母も元気です。

毎日のようにおかしなLINEをして、

アルコールジェルの話で盛り上がったり

天気が急変する日は父から娘たちへのしつこいアラート投稿が続きます。

 

わたしもかつては父にものすごく腹が立ったり

父も(母も)わたしを許せなかったり

いろいろとややこしい時期があったりもしました。

しかし間違いないのは、そんなこともありつつみんなお互いを大好きでした。

(今も続いているとわたしは信じております)

 

父のことを強く思うとき、思い出す光景があります。

思春期の終わり頃、見知らぬ街の大雪と電話ボックス。

 

あの日、わたしはちょっとしたお小遣い稼ぎで1日限定のアルバイトをしました。

大雪の降る日で、遠いわけではないですがまったく知らない街のドラッグストアで

品出しとかそういうお仕事をしたような気がします。

 

辛いことは意識しないと忘れてしまうわたしは

詳細をほとんど覚えていないのですが、

そこでのお仕事はそれまでにも何度かやった1日限定の中で

なぜか一番つらいお仕事でした。

つらいうえに大雪で、持って行ったビニール傘が割れてしまいました。

身も心も冷え切って、やっと仕事が終わったとき、

派遣元の会社に仕事終了の連絡をすることになっていました。

その日携帯電話を持っていなかったのか……記憶が曖昧ですが

公衆電話から業務終了連絡をしたのだと思います。

 

普段ならそんなことしない気がしますが、

電話を切ってすぐに家に電話しました。

父が出て、きっとわたしの声に寂しさのようなものを感じてくれたのでしょう。

いつもふざけあったりいがみあったりしている関係でしたが、

「おつかれさま。帰っておいで。」とかなんとか、優しい声で言ってくれました。

泣きそうになるのがはずかしくて急いで電話を切って、

早く帰りたくて急いで電車に向かいました。

 

途中で財布を忘れたことに気付き、大慌てで電話ボックスに戻りました。

大雪のおかげでわたしの安物の赤い財布は公衆電話にチョンと載ったままでした。

「急いでるのに、遅くなるじゃないの」と思いながら

「財布を忘れるほどうれしかったのかな」と思ったのを覚えています。

 

わたしの父への気持ちはきっといつもこのままです。

バカなことを言うし、妙な奴だなとも思うし、思い出には隙がありますが

昔から今まで、そしてこれからも、どんなことが起きても、

父の真ん中にあの優しい声があることを知っているし、その声を頼っています。

きっと妹たちもそれぞれの方法で父を大好きなんだろうと思います。

母もですが。ふふふ。

 

すべてのお父さんとお母さんとその子たちが幸せであってほしいと思います。